本代

図書館で本を借りるのが好きだ。

母からずっと「本にお金をかけなさい」と言われ続けてきたせいか、本は借りるものではなく買うものだと認識していた。きちんと作者に金が渡るように、敬意を払うように、という思いが母にはあったのだろう。概ね同意していたので自立して以降も同じような消費の仕方をしていた。勿論生活費に影響は出さないが、それでも欲しいと思った本は迷わず(もっと言うなら値段を見ずに)買う、というものだ。周囲にもそういう人がざらに居たため、世間の人々がこれをどの程度当然/異常と捉えるのか、正直今でもよく分かっていない。

ただ夫は違った。彼も勿論本を買うことがあるのだが、結婚して少し経った頃、「図書館をもっと上手く使うべきだ」という指摘があった。図書館の近くに引っ越した事も大きな理由だった。

図書館を使うこと自体賛成したが、習慣のない行為だったせいで私はやや怖気付いていた。夫の主張が真に図書館の利用推奨にあるのではなく、「書籍代なら幾ら使っても良いという考えは改めたほうが良い」だという事も分かっていたもののそちらの改善もまた鈍かった。この機に実感したが、ポリシーはそう簡単に転換出来ない。平積みされた新刊を買いたいなと思いながらのろのろと館内を彷徨くばかり、という日もあった。

そんな私にある日夫が改めて(これを夫が議題にあげたのは3度目くらいだったと思う)、「図書館はどんな立場の人間でも等しく使えるんだからありがたく使ったほうがいい」と言った。彼の幼年期は裕福でなかった事もあり、親戚の家にあった古い漫画を対象年齢関係なく読み漁ったり、ブックオフで2時間立ち読みして1冊読み切るという、あまり褒められたものではない読書生活について聞かされていた事をそれで思い出した。

その会話の暫く後で、張り手を貰ったような衝撃があった。今自分は母とではなく、この男と家庭をやっている。その事実を漸く頭が理解した。『私が合わせるべきタイミング』なのだ。言われた事自体は平凡でも、先週それとなく言われた事の繰り返しでも、自分に腹落ちする瞬間が来るまでそれを浴び続けないと全くの無意味なのだなと加えて知った。恥ずかしい事だが、比較的若い年齢で矯正が済んで助かった、と内心で思っている。私が改心したというか、単に、運が良かったのだ。理解とはそんなものである。

無事金銭感覚の是正が済んだおかげで、今では積極的に図書館を利用しつつ、時々は本屋にも、という生活を送っている。読書量は寧ろ増えたため、不満や物足りなさは無い。夫に浪費のリスクを心配される事も全く無くなった。家庭内のバランスが上手く取れているという事なら、大変喜ばしい。