消滅

消滅可能性自治体、という言葉がある。特に東北地方に多いが、地図を見れば全国どこにでもあるのだなという印象を持つ。

若年女性の残り数を基準に使うからか、若年かどうかを問わず女性からのヒステリックな反応がどうにも多い。中でも「女性が生きやすい世の中にならないからだ」という文句の声には笑ってしまった。正直お門違いだと思う。その主張の人の多くは、子供を産まなくていい社会のことを生きやすい世の中と解釈するので、話を聞くだけ無駄と言える。作るべきは産んだ方が良い社会だろう、と思う。

教養

インターネットにおいて教養という言葉に文句を言いたい人が多いように見受けられる。

皆学生時代のテストではそれぞれ違う点を取っただろうに(もっと言えば入学試験そのものに受かったり落ちたりしてきただろうに)、教養にもそれぞれ「わかるライン」と「わからないライン」があって、自分が都度その線で引いた円の中に入れたり入れなかったりするだけ、と思えないのだろうか。要するにわからないという事は、今回はその円に入れなかった、という事だ。知らない事を恥ずかしいと思うか勉強になったと思うかは人それぞれとして、いずれにせよわかる事が多い方が生きていて何かと得だから教養という言葉は見上げて使われる事が多く、逆に教養のなさによって人生がうまくいかないと、けっ、あんなもの、という印象になるのかもしれない。

それで気に食わないのだろうか。何かにおいて(これは文化的なものである必要はない)気の利いた言動をさっとを出せる、御簾上げ清少納言みたいな行為はできるに越した事ないよ〜と、千年前から変わらない人間社会の傾向に馴染めていないように思える。

知識をひけらかす事と教養がある事は違うので、履き違えた行為があればそれはちゃんと嫌われる。だからなんか教養って鼻につくんだよな〜と息巻く人たちはその鼻につく人たちの一挙手一投足に拘泥などしていないで、そういった「気に入らない人たちのやる『教養』ってやつ」よりもより良い行為を身につける研鑽に励むべきだ。理解できてすらいないそれを理解する方を優先すれば、余程人生を豊かにできるだろうに、と思う。

対価

妊娠と出産は夫婦間における負担の前払いだと思っている。

私は夫婦は家事育児および仕事を男女ではっきりと分業するのが良いと考えている人間である。若い頃はそうでもなかったが、今は自らの経験も踏まえてそう考えている。

要するに、人間はそもそも他の生き物同様生き物として生存し、繁栄するためにパートナーを見つけて子供を産み育てる必要があり、女性は妊娠と出産で一つでかい貢献がある。その後の育児も、出産程のインパクトは無くともそのフェーズの女性が出力できる最も貢献度の高い繁栄要素である。それに対して出産機能が無い男性は家庭外での労働において一定の速度で、定常的に貢献をしていく。これを養うと言う。すると、子供が自立して暫く経ったあたりで緩やかに両者の貢献度が均されていく。これがヒト男女の現状最もバランスの良い繁栄方法じゃないか、という事だ。例外がある事は勿論理解している。あくまで想定解をどこに置くのか、という話である。

女性って本当に男女平等を求めているのだろうか。なんなら現在の男性がそうであるように社会を(より高確率で)支配する側に回りたいとか考えているのだろうか。そうしたい人は勿論それを目指したら良いのだが、昨今騒がれる男女平等の声の大きさと実態が合っていないように思えるというか、少なくとも女性の意見としてマジョリティに聞こえないのを不思議に感じる。代わりに何を手放して、何に甘んじるつもりでいるのか具体的に想定しないまま権利ばかり主張する女性が多く観測されるせいで、横目に閉口する同性も多いのではないかと思う。

それこそ自分の人生全ベット出来る誰かしら、任意の男を一名パートナーとして選び(これは選ばせると言い換えても良い)、時に文句を言ったりメロメロしたりしながら過ごし、苛烈な競争や過労死の滲む労働には滅多に晒される事なく、有事の際は優先して(場合によるが)救済される性別で居続けた方が、『性に合っている』だろう、と思う。

本代

図書館で本を借りるのが好きだ。

母からずっと「本にお金をかけなさい」と言われ続けてきたせいか、本は借りるものではなく買うものだと認識していた。きちんと作者に金が渡るように、敬意を払うように、という思いが母にはあったのだろう。概ね同意していたので自立して以降も同じような消費の仕方をしていた。勿論生活費に影響は出さないが、それでも欲しいと思った本は迷わず(もっと言うなら値段を見ずに)買う、というものだ。周囲にもそういう人がざらに居たため、世間の人々がこれをどの程度当然/異常と捉えるのか、正直今でもよく分かっていない。

ただ夫は違った。彼も勿論本を買うことがあるのだが、結婚して少し経った頃、「図書館をもっと上手く使うべきだ」という指摘があった。図書館の近くに引っ越した事も大きな理由だった。

図書館を使うこと自体賛成したが、習慣のない行為だったせいで私はやや怖気付いていた。夫の主張が真に図書館の利用推奨にあるのではなく、「書籍代なら幾ら使っても良いという考えは改めたほうが良い」だという事も分かっていたもののそちらの改善もまた鈍かった。この機に実感したが、ポリシーはそう簡単に転換出来ない。平積みされた新刊を買いたいなと思いながらのろのろと館内を彷徨くばかり、という日もあった。

そんな私にある日夫が改めて(これを夫が議題にあげたのは3度目くらいだったと思う)、「図書館はどんな立場の人間でも等しく使えるんだからありがたく使ったほうがいい」と言った。彼の幼年期は裕福でなかった事もあり、親戚の家にあった古い漫画を対象年齢関係なく読み漁ったり、ブックオフで2時間立ち読みして1冊読み切るという、あまり褒められたものではない読書生活について聞かされていた事をそれで思い出した。

その会話の暫く後で、張り手を貰ったような衝撃があった。今自分は母とではなく、この男と家庭をやっている。その事実を漸く頭が理解した。『私が合わせるべきタイミング』なのだ。言われた事自体は平凡でも、先週それとなく言われた事の繰り返しでも、自分に腹落ちする瞬間が来るまでそれを浴び続けないと全くの無意味なのだなと加えて知った。恥ずかしい事だが、比較的若い年齢で矯正が済んで助かった、と内心で思っている。私が改心したというか、単に、運が良かったのだ。理解とはそんなものである。

無事金銭感覚の是正が済んだおかげで、今では積極的に図書館を利用しつつ、時々は本屋にも、という生活を送っている。読書量は寧ろ増えたため、不満や物足りなさは無い。夫に浪費のリスクを心配される事も全く無くなった。家庭内のバランスが上手く取れているという事なら、大変喜ばしい。

ゾンビ

所謂インプレゾンビなるものが嫌いだ。

上記ミームが指すのは原則「絵文字や外国語でリプライを量産し、インプレッションを稼ぐ海外のよく分からないアカウント」だと理解している。最近ではAIによる学習が進み、新年早々インフラとしてのXにおいて致命的な悪影響を及ぼしてもいる。勿論そちらも不快だが、私は正直

 

『バズっている投稿や圧倒的多数のフォロワーを抱えている著名人の投稿にばかり狙って有用性の低い凡庸な内容のリプライを送り、インプレゾンビと自分は別物ですよという顔をしている青バッジ国産アカウント』

 

これの方が不快だ。なので見つけ次第ブロックしているし、目に余る内容であればスパム報告も都度行うようにしている。

青バッジを金で買える現状、私がタイムラインに流れてきてもブロックしない青バッジアカウントは①著名人や公的組織によるアカウント②自分のタイムライン上で発信する内容で正々堂々インプレッション獲得争奪戦を戦っている一般アカウント、の二種類のみである。余談だが、これを満たさないアカウントがバズった投稿のリプライ欄にぶら下がっている場合、殆どはアカウント名に『不特定多数の目にあわよくば入れたい情報』の気配が滲むので直ぐに分かる。コミケのスペースとか、副業とか、嘘っぽい年収とか、フォロバ100というワードとか。

女の離婚

両親は離婚している。

現在は各々再婚しているので幸せそうで何よりなのだが、中学受験で第一志望の合格通知が出た12歳の誕生日に「ママとパパ、離婚するんだ」と聞かされた私は未だ離婚という行為の重たさについてしばしば考えてしまう。そんなものに囚われたくないというのが本音だが、小6の頃の私の怨念めいた何かをそんなものと呼んでいるうちは、繰り返しこうして考える時間を取り続けるのだろう。

というのも、夫から時たま引き合いに出されるのだ。「お前の家は色々あったから、」という構文で出されるその指摘は、大抵私が夫に対して冷たかったり、口論で優しくしなかったりしたことへの糾弾として使われる。ぶっ壊れ家庭出身者はこうしていつまでもぶっ壊れた部分について負い目を抱える事となる。私が一切を黙ったまま結婚していたら、父親とは血が繋がっていないのにしょっちゅう「お父さんと娘さん、よく似ていますね」と言われるのをにこにこ笑って肯定していたら(これは実際しているのだが)そういうご指摘は全く無くなっていただろうか。それとも形を変えて、現在の私と私の親の粗探しを始めるのだろうか。

この間姑と会った時、実は若い頃家庭内で酷いいじめに遭っていて、そのせいで鬱やフラッシュバックに苦しんだという話を聞いた。夫は甘やかされていたから被害は少なかっただろうが何が起きていたかはだいたい知っている、とも姑は言った。おいおい、と思った。次にやった口喧嘩で人のこと言えんのかと指摘し返したら、一応発言については謝罪されたがひどく不満そうにしていた。君は障害者という言葉を悪口として使う人みたいだね、と思った。ぶっ壊れ家庭なんてどこにでもあるが、いざそういう扱いを受けると途端に怒り出すのは流石に軽率だし、やり返される準備が足りていなさ過ぎるだろう。