婚活

婚活している女性のXアカウント、というか婚活女性たちの人生のままならなさがそのまま主観で発信される書き散らし、に読み応えを感じてしまい、する事がない時に時々眺めている。

張り付いて時事刻々と追った方が面白いのはわかっているが流石に難しく、正直見失うアカウントの方が多い。ただ半年振りに思い立って「婚活」で検索をかけた時、見覚えのあるアカウントがちゃんとごろごろ出てくるのもまた事実だ。それで十分面白い。時折ライフステージが進んですっかりママアカウントに変態しているものもあり、立場が変わると言う事も随分変わるなと感慨深くもある。

婚活を長く続ける女性に共通して出てくる言葉は「言霊」だ。最頻出と言っていい。尻叩きのために宣言するのではなく言霊として表明するあたりに覚悟の無さが窺えるな、と出てくる度に思う。

子作り

もう一人子供が欲しいと言われたから子作りに積極的になっている。

だというのに肝心の夫は忙しいとか調子が悪いとかで、必要なタイミングでは子作りしてくれない。思い出したみたいに暇な休日に求められる事もあるが、それは別に子作りではない。ただ生でセックスしてるだけだ。

もしこれで終ぞ授からなかったら「もう一人欲しかったんだけど授からなくてね」と吹聴されるんだろうか。納得がいかない。「欲しいという気持ちはあったけど行動を伴わなかったから授からなかった」だろう、と思う。必要なタイミングで誘っても袖にするくせに、早く眠れるようにこちらが家事や子供の寝支度を急いでも手伝いもしないくせに。最早手伝いは期待していないけれど、自分の寝支度すら全くせずスマートフォンをいじってはぼうっとテレビを見て過ごしているくせに。

一昨日か昨日までが必要なタイミングだった。眠いとか喉が痛いとか言うのでやんわりとだけ誘ったが、やはり応じては貰えなかった。体調が悪いなら仕方ないからと思って翌朝ちゃんと眠れたか気遣ったら、何故そんな事を聞くのかと逆に問われ、それでセックスをすべき日をみすみす逃した事まで白状した。

「じゃあ今日は早く帰るね、」と夫は言い残して会社へ向かった。頭の悪さにがっかりした。この男は子供を作る仕組みをわかっていないのだろうか。いくら数字の座学がお得意でも保健体育がFなら子作りにおいては意味がない。

今月もただ生でセックスするだけになる。お前も私も年老いていくのに。

ミャンマー

大昔、ミャンマーの一般邸宅に泊めていただいた事がある。クーデター前で、しかしスー・チー氏は既に軟禁されていて、という国際情勢だった。日本からの渡航は可能だったが、外国人が一般人の邸宅へ宿泊するのは本来禁止されていたらしい。どういうわけかオーケー(ではなかった可能性もあるが)という事で、同い年の子の家へ数日転がり込んだのである。

蜂の巣みたいに小さな一部屋が密集した雑居ビル、の一角のような場所だった。日本人がステレオタイプのまま絵に描いた東南アジアの姿だった。電気も水も通っていたがお湯という概念は存在せず、風呂はチョロチョロ出てくる水道を甕に溜めてはざばっと浴びてその隙に身体を擦る、というものだった。夏でもさすがにこれは寒かった。

立方体のテレビからはずっとミャンマー人歌手の歌番組が流れていた。言語も文化も分からないが演歌のようなメロディーだった。タイでも似たものを聴いた。ミャンマー語の字幕は丸っこい記号が横に続いていて、ポケモンのタイレーツみたいな可愛さがあった。

 

・A・

刹那・F・セイメイとか惣流・アスカ・ラングレーみたいなキャラクターの名前を見るたび「横浜・F・マリノスみたいだなあ」と思う。「ジョン・F・ケネディみたいだなあ」とならないのは世代のズレか、単に教養に乏しくて横浜ほど身近に感じられないのか、どちらだろう。そういえばアルファベットに拘らなければモンキー・D・ルフィもいた。ワンピースはアラバスタで一旦満足して以降きちんと追えていないので、こちらもやはり身近ではない。

ティーブン・A・スターフェイズのAがアランである事を流れてきた二次創作で知ってしまった時は己の愚かさを深く恥じた。給料が出たら好きそうな漫画を1冊、というペースで単行本をのろのろと買って追っていたため該当部分は未読だった。ファンの創作だと思っていたら実は、という驚きとがっかり感はなかなか大きい。それまでは鬼滅の刃でも半沢直樹でもネタバレ(○○死亡確定、とか、スクショやらミーム化した画像やら)を目にしようと関係なく後追いで本編を楽しめていたのだが、何故かアランは駄目だった。自覚のない厄介夢女だったのかもしれない。

#pr

どの界隈にもある事だと思うが、Xにおける案件というもののいやらしさは何とかならないのかと思う。ハッシュタグとprさえついていればセーフ、あとはどんな文面で何を言ってもセーフ。一つ目のポストには宣伝らしさを一切見せず、本当に自分本意のポストであるように見せかけて、数時間後にツリーで#prと小さく付け足すあの姑息さは購買意欲を著しく削ぐし、それ以降のポスト全てが嘘っぽく見えてしまうのでセルフプロデュースの観点から逆効果なのではとすら思う。

丁寧な暮らし界隈というものがある。日常界隈と言い換えても良い。決して蔑称でないこの呼び方が丁寧な暮らし(笑)のようなニュアンスを帯びてしまうのは、フォロワーが増えて多少の影響力を持った一般人が案件に乗っかって金稼ぎに手を出してしまうからではないか。その暮らしぶりで稼ぐ小金で構成したお部屋が大抵ありふれたワンルームというのも「その程度か」みたいな物悲しさを感じる。これもまた購買意欲を落とす。この手の女の子は大抵お金が無いのだな、と薄々感じていた安っぽさが、レイアウトされた渾身の写真からも実は透けて見えている。

皮肉な事に、この界隈の格差も案件を通して残酷に映る。とてもじゃないが豊かそうに見えない人ほど積極的に案件をこなしていき、複数のユーザーが同時期に「これ良かった!  #pr」「キレイになったかも!  #pr」と投稿するせいで商品に対しては案件モノという烙印が押されてしまっている。

ではどうすればいいのか、という対案は持ち合わせていない。やたらと目につくのでどうにかならないのかな〜と思いつつ、「宣伝です!」と企業の依頼で商品を体験利用したポストである事を真っ当に事前告知しない限り、本人が演出したいであろう暮らしぶりと相性の悪いあの特有のいやらしさは消えないだろうな、という所感があるだけである。

美談

斜に構えて生きる人間なので、何でもかんでも美談にするなよ、と思う。先日実際にあった事だからぼかして書くと「ケガをおして出場して勝った」とか、もっと一般的なところで言うなら「夜遅くまで残業を続けたおかげで出世した」とか。

ルール上問題無いなら良い。でも好感は持てない。それらの当事者(ないし、それを容認した関係者と吹聴する他人)から美談の許しを感じるからだ。勝ったから良いでしょ。まさかここまで頑張ってやってきたのに棄権しろって言うの?夫はこういうタイプなので、まさに今のような言葉で食ってかかる。

ルール上問題無いなら良い。でも好感は持てない。って最初から言ってるじゃん。と言っても平行線なのでこの話自体人としないようにしている。美談が嫌いなだけで、世の中的にはそれが正しい扱いを受ける事も分かっているし、自分自身が美談じみた行いで賞賛を受けた経験もある。無理して頑張って結果を出した選手には拍手を贈りたいし、ただ、私はクロアチア戦で熱出して寝てた久保とそうさせた医者の方が好きだ、とも思う。